もしも音楽が私の言語だったならば

franzkafka1232005-10-19

かれこれ三週間前の話になりますが、知人の誕生日パーティーがありました。健康上の理由で煙草を止めることを余儀なくされた私は、過去に愛用していたミシュランの灰皿をプレゼントとしてヘビー・スモーカーの彼に譲り渡しました。私なりのささやかなアイロニーを込めて。ひょんなことから彼とは知り合い、聞けば、中心街のバーで頻繁にギターを演奏しているという。しかも、その風貌に似合わすブルース・ギターを弾くというので、私は密かに好感を持ちました。そのバーはメインストリートを少し外れた所にあり、音楽好きの客が楽器を持参してステージで演奏ができる店。彼の出番は最後から二番目。ビールを飲みながら気さくなマスターやプロのギタリストでもある店員と談笑する彼の姿からは、ゆとりと自信が感じられました。平日にもかかわらず、ちょうど店が客で賑わってきた頃、彼は煙草をくわえながらステージに上がった。そして、その煙草をヘッドの弦に挿み、ドラム・マシーンのスイッチを押して、おもむろに弾き始めた。びっくりした。ブルースだけに止まらす、ファンク、ジャズ、そしてカントリー、持ち時間の約二十分間、彼は目を瞑りながら本当に気持ち良さそうに演奏を楽しんでいた。気がつけば、店の客は全員彼のパフォーマンスに釘づけになっていた。彼から聞いた話ですが、演奏はすべてアドリブで、その場の雰囲気から得たインスピレーションだけを頼りに演奏をするらしい。本人は恥ずかしがって教えてくれませんでしたが、彼の音源が入ったCDがHMVで買えるとか。日本の音楽業界人とのコネも多少あるようでした。驚くべき事は、ギターを始めたのが高校を卒業してからということ。まだ4年目。それまではピアノ、クラリネットトロンボーンをやっていたとのこと。母親がジャズのピアニストだったらしく、その音楽の才能を余すことなく受け継いでいるんだな、としみじみ感じた。もう一人、共にバーに行った友人はステージでOASISの弾き語りを演奏しました。イギリスで日本人がOASISを歌う。彼の勇気は賞賛に値します。一緒にサビを歌っていたマスターの嬉しそうな顔が印象的でした。ちなみに私は中学の頃にNIRVANAカート・コバーンに影響を受けてエレキを始めましたが、後に挫折、高校からはベースに転向しました…苦笑。もしも音楽が私の言語だったならば、この店にいるすべての人達と心から理解し合う事ができるのに。ビールをちびちび飲みながら、私はずっとそんな空想に耽っていました。帰路、彼曰く「Oxfordで一番美味しい」というケバブの店に立ち寄って本場のケバブを食べました。イギリスには中東系の人が大勢いるということもあり、ケバブの店は至る所で見かけます。
amazonの個人売買で業者から買ったCDは、二枚ともプラスチック・ケースが破損していました。配達時の破損だとは思いますが、なんだかクレームをつけるのも億劫で、CDが無事だっただけでも不幸中の幸いと開き直っています。もう少し聴き込んだら、個人的なレビューを書きます。あ、そういえば、マックで食事をしている時に黒人の女性にペンを貸して欲しいと頼まれ、快く渡したところ、そのままパクられました…悪い人には見えなかったけど、一体どうして!?泣きっ面に蜂とは、正にこの事です。
写真はamazonで購入したVictor Davies/REMIXES。