D先輩へ

ブログというバリアフリーの電脳空間の場を借りて、私的な過去について触れる事が果たして正しい決断なのか否か、寝ても覚めてもその事ばかりを苦慮していましたが、今現在の私にはこの場だけが唯一のコネクションであり、表現の自由が許された場であるので、どうか勘弁して下さい。
熱いシャワーを入念に浴び、窓を2.5cm開け、フラットメイトが一人残らず故郷へ帰ってしまった寮の静寂の中で、スピーカーから流れてくる普段より心なしボリュームを上げたノラ・ジョーンズを聴きながら深呼吸を2回、空白の時期に私がリアルに感じていた事を言葉という媒体を通してパーフェクトに伝える自信は微塵もありませんが、ようやく文章をしたためる決心がつきました。

2006年、明けましておめでとうございます。
12月の中旬から約二週間、ヨーロッパ旅行へ出掛けていましたが、年の瀬に帰宅してD先輩の書き込みを読んだ時は身体が震えました。まるで予めこういうシナリオが何者かによって用意されていたのではないかと柄にもなく「運命」などという使い古された陳腐な言葉を思い浮かべてしまいました。私が高校を卒業して東京の大学へ進学したのはもう彼此5年も前の話になるのですね。左手の指を一本一本折りながら容赦のない時間の経過を痛感すると同時に、この告白が左手一本の時間の経過の中で間に合った事への不思議な安堵感を噛み締めています。
あの頃の私は東京という大都会に憧憬を抱いて地方都市を飛び出したごまんといる田舎者の一人にすぎませんでした。右も左も判らぬ都会での生活に悪戦苦闘しながら、たとえ自分が井の中の蛙であると思い知らされたとしても、それを素直に認める事ができずに精一杯の虚勢を張ってみせました。当時の記憶は年々遠い過去のものになり、曖昧になりつつありますが、そんな人一倍自我の強い若者だったのだと思います。日本文学専攻だった私は当初、文研のサークルで文章を書こうと思っていましたが、ひょんな事からD先輩やEATBEERでも書いておられるK先輩(現在は新潟で農家をしておられるのですね)の所属するサークルでお世話になる事になりました。当時の私はD先輩が名付け親である「HOPE」というニックネームで皆から呼ばれていましたが、その由来を覚えておられますか??サークルの勧誘時に私が胸に「HOPE」と刺繍されたスウェットを着ていたのを見たD先輩が命名して下さりました。どういう経緯かは忘れましたが、あの思い出深いスウェットは血塗れになって止むを得ず捨てた記憶があります。そんなニックネームを頂いた私が5年後の今現在、将来を担う若い世代として失格の烙印を押された人生を送っている事実は何とも皮肉な話です。私は健康上の理由で大学を辞める事を余儀なくされたため、サークルに所属していた期間はほんの僅かでしたが、D先輩をはじめ、あの時代にお世話になった先輩方へ感謝の言葉の一つ言えずに大学を去らざるを得なかった事が、この5年間ずっと心残りでした。
本当にありがとうございました。
あれから地元に帰って色々な事がありました。どうやら肝臓が悪いらしく、ある医者からは酒も煙草も辞める様に厳しく言い聞かされました。元々ヘビースモーカーではなかったので煙草は容易に辞める事ができましたが、酒は一生辞められそうにありません。仮に一杯のグラスビールが私の寿命を30秒縮めているとして、どうしてだろう、そう想像する事がこんなにもビールの味を甘美なものにしてくれるなんて。紆余曲折の後、現在は英国に留学をしています。今年は戌年という事で私は年男です。私が知っているあの頃のD先輩よりも歳を取りましたが、今でも私の中でD先輩は憧れであり目標の対象で在り続けています。
今年の5月か6月、一旦日本へ帰る予定ですが、時間が合えば、また渋谷で一緒にお酒でも飲んでやって下さい。

今年の目標は、たとえ自分の身の上に何が起きたとしても自ら命を絶たない事です。

A Happy New Year