franzkafka1232005-07-09

先週末、夜行バスで東京へ。仙台→東京、片道3500円。大手旅行会社で働く友人と会い、池袋のえるびすでラーメンを食べてビリヤードを楽しんだ。池袋には4年前に少しだけ住んでいたことがあるので、まるで地元に舞い戻ったような郷愁にかられた。しかし、相変わらず池袋駅構内でかるく迷子に。夜は羽田空港で働く友人と会い、酒を飲み、こっそり会社の寮に泊めてもらった。翌日、月曜日、イギリス大使館へ行く予定が寝坊。たまたま仕事が休みだった彼と東京散策。夜は新宿の大衆居酒屋で一杯ひっかける。またまたお忍びで寮に宿泊。火曜日、イギリス大使館へ。書類等の不備もなく、とてもスムーズにビザを取得。東京で出版社の仕事をしている兄貴に会いたかったけれど、連絡がつかなかったために夕方の新幹線で帰路へ。
その数日後にロンドンでの同時テロ。亡くなられた方々の御冥福を心からお祈りします。今年の夏からイギリスへの留学が決まっている自分としては複雑な気持ちを隠し切れなかった。次は東京がテロのターゲットになったとしても何ら不思議ではないという現実がすぐそこにはある。想像したくはないけれど、自分自身の身近な人間がテロという破壊行為の犠牲者になり得るという可能性を考えざるをえない。私たちはテロ行為に対してあまりに無防備すぎる。それはテロ行為の無差別性という卑劣さに関係している。私は無神論者で、イスラム教(と云ってもその宗派は細分化しているので安易にそう呼ぶことが危険であることはもちろん解っているが)の教えを深く理解しているわけではないけれど、テロが本当の意味でコーランの教えを体現する結論として導き出された行為なのかどうか、甚だ疑わしい。この御時世、大義名分が「ジハード」だけでは、テロはテロリスト同士の単なる売名行為にすぎない。今更、こんな疑問を投げ掛けるのはナンセンス極まりないかも知れないけれど、そもそも宗教は人間が正しく生きるための規範を示したものではなかったのか?世界各地で起こる地域紛争の大半が宗教絡みであるという事実は、何ていう皮肉なんだろう。それにしても去年のスペイン、首都マドリードでの列車爆破テロに引き続き、イギリス、ロンドンでのテロ。この現実を前に引き金を引いたブッシュ大統領は一体何を思うのだろうか?
このダイアリーに訪問者数を表示するカウンターが果たして必要なのか否か、ここを訪れる度にそればかりをずっと考えていた。先日、やっと3000に達したばかりだけれど、いわゆるキリ番は自分自身だった。というか、この際、「実は1000も2000もキリ番は私でした」と素直に告白しようと思う。いや、それどころか、実はカウンターの数字の大半は私が更新のために要した数字なんだよね。昔、おちんちんという東風荘の有名人が一行批評というサイトを運営していたけれど、その指針の欄で、確か「サイトを訪れる人の数を確認するためにカウンターを設置する人間は寂しい人間だ」なんて書いてあった気がする。すみません、寂しい人間なんです。そもそも、はてなダイアリーを始めた都合のいい理由もなく、不定期更新で、しかも「甘くない生活」なんて冴えないタイトルで、拙い文章力で浅見を書き記しただけの日記なんて誰も読みたくないよ。がんばれ、わかぞーと自分を鼓舞してみるけれど、何も変わらない。変わりっこない。
あ、渋谷のパルコでオープン・ウォーターを観たよ。観客、5人。